どらんち

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2011年 12月 15日

源光庵

鷹ヶ峰街道の突き当たりにある源光庵は、
貞和2年(1346)、臨済宗大徳寺住持の徹翁義亨(てつおうぎこう)により、
隠居所として建立された復古堂に始まります。
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普段はひっそりとしていますが、紅葉の時期はたくさんの人が訪れます。
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丸窓は「悟りの窓」と呼ばれ、円型は「禅と円通」の心を表し、円は大宇宙を表現しています。
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お話は長くなりますが、慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いの直前、
徳川家康は会津の上杉景勝討伐に向かうため、
留守居として鳥居元忠(1539~1600)以下1800名に伏見城を守らせていました。
d0187357_652248.jpgすると家康が京を離れた隙を狙っていた石田三成の軍勢9万が伏見城を攻撃!
鳥居元忠とその部下は三成軍を少しでも長く京に留まらせ、
会津まで援軍に行かせないようにと奮戦したが8月1日遂に力尽き、
落城の際に鳥居元忠ら380名以上が自刃(元忠は討ち死にとの説も有)。
鳥居元忠達の遺骸は関ヶ原の戦いが終わるまで約2ヶ月もの間、伏見城に放置され、
その血痕や顔や鎧のあとが縁側の板に染み付き、いくら拭いても洗っても落ちなくなったのです。
そこで、縁側からその板を外し、供養のため寺に移しました。
その際に床を、足で踏む床板にしては供養にならないからと、
天井にして手厚く供養しているものがいわゆる「血天井」として京都各地に今も残っているのです。
その一つが、ここ源光庵なのです。

天井下に置かれた長椅子に座って見上げると、生々しい血天井が。。。。
悲惨な光景が目に浮かび少し恐怖を感じました。
バスガイドさんが、「このシミが鳥居元忠です。」と案内していましたが本当に分かるのかい?って言いたくなりました。それに、同じく血天井を供養している東山の養源院でも住職から、鳥居元忠の自害した跡の説明を受けましたよ・・・・
どっちが本当なのでしょうか?





「悟りの窓」に並んで「迷いの窓」の四角い形は「生老病死四苦八苦」を表現しています。
これ以外にもたくさんの窓があり、窓を通して庭園を望むと、
景色の明るさと部屋の暗さのコントラストが何とも美しく目に入ります。
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by dora3000 | 2011-12-15 07:15


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