どらんち

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2012年 04月 27日

阪急電車京都線の春

毎日の通勤路で、阪急の踏切を渡ります。
時間がない時は、なかなか上がらない遮断機にイライラ。
西向日駅南側の踏切付近。
このあたりは、住宅街も桜並木でとても綺麗なんです。
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西向日の駅はホームが長いのです。
Yさんに教えて頂いたのですが、これは六地蔵抜けて大津へと路線を増やす計画があったからだそうです。
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京都よりに行くと公園があります。
阪急電車を利用していると、車窓から見える公園です。
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今度は大阪方向に向かいました。
長岡天神駅との中間くらいでしょうか。
小畑川の土手に出てみました。
堤防の道を覆うように咲く桜が見事でした。
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土手にはセイヨウカラシナが咲いていて、春まっ盛りでした。
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by dora3000 | 2012-04-27 06:53
2012年 04月 26日

坂の上の雲

秋山好古は「日本騎兵の父」と呼ばれています。
それは、彼の日露戦争の功績からです。
日露戦争では騎兵第一旅団長(第二軍)として出征、緒戦から偵察、側面援護と力戦し、
当時世界最強と呼ばれたロシアのコサック騎兵の突撃を阻止します。
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その後、ロシア第ニ軍主力軍10万人が全力をあげ反撃をしてくるのですが、
秋山好古はわずか8千人で死守するという鉄壁さをみせるのです。
「日露戦争の最大の危機」といわれたこの戦いを勝利に導いたのでした。
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弟である秋山真之、兄の指導のもと海軍に入隊します。
日本海軍史上きっての戦略家といわれ、
日本海海戦では参謀としてすべての作戦の指令を行ったのです。
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世界最大の軍事力を持つロシア帝国の中にあって、海軍はまた別格の規模と強さを誇示していました。
そのバルチック艦隊の大半を失わせたが、
日本艦隊は損失は軽微という海戦史上まれな一方的勝利となり、ロシア帝国は敗戦に追い込まれたのです。
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ロシア海軍は日露戦争開戦時に日本海軍の3倍近い戦力を保有していたが、日本に勝つことができませんでした。
このことは、世界を驚愕させるとことになります。
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51歳の若さでこの世を去りますが、最後に残した言葉はからも、秋山真之には先見の目があったようです。
これからの戦争は飛行機と潜水艦の時代になる。
だから諸君は、飛行機と潜水艦の研究をされたい。
それからアメリカと事を構えると日d0187357_644244.jpg本は苦境に追い込まれる。
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by dora3000 | 2012-04-26 06:45
2012年 04月 25日

坂の上の洋館

再び、松山からです。
『坂の上の雲』(さかのうえのくも)は、司馬遼太郎の長編歴史小説です。
ドラマでご覧になった方も多くいらっしゃるかと思います。
この小説にもとづくミュージアムが平成18年11月30日に竣工しました。

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中へ入ると、ミュージアムの反対側に洋館が見えました。
あれは?
坂の上の洋館?

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まさに明治ロマン、いや大正ロマンかな。
萬翠荘は、大正11年(1922年)に、久松 定謨(ひさまつ さだこと)伯爵が、
別邸として建設したものです。
桜も綺麗でした。

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by dora3000 | 2012-04-25 08:15
2012年 04月 24日

メジロと桜

そうだ、山のの中腹にあるお寺の桜を撮りに行こう~♪
カメラ機材を担いで、バイクにまたがり向った。
もうすぐお寺の下というところで、とても綺麗な桜を見つけた。
く(゜゜) アレー? ( ゜゜)リ?
こんなところに、桜咲いてたっけ?
バイクを道の端に止めて、近づいてみる。
ブ~~~ン!
何の音?
良く見ると、たくさんの蜂が蜜集め。
チュンチュン!
雀?
いや違うメジロだ!
慌てて望遠レンズに付け替え撮影開始。
夢中になり過ぎて、山のお寺には行けませんでした(^^ゞ

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by dora3000 | 2012-04-24 07:52
2012年 04月 22日

夜桜 八条が池 

去年は震災で自粛、ライトアップがありませんでした。
なので、2年ぶりとなります。
会社の仕事が終わるのが18時。
慌てて家へ帰って、カメラを持って急行しました。
こんなに綺麗なのに、ほとんど人がいません。
池の周りには、合わせて数十人くらい。
宴会も、3~4組がお弁当を広げて静かに。
もったいないと思いませんか?
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お嬢さん達、上手に写せますか?
おっちゃんが教えましょうか?
ニャハハ(^o^)
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by dora3000 | 2012-04-22 09:55
2012年 04月 20日

道後公園

他の桜もご紹介したいのですが、
まだまだ愛媛のお話と写真が続きます。
道後公園は、
明治以来の長い歴史を有する県立都市公園です。
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また、中世の時代に伊予国(現在の愛媛県)の守護であった
河野氏が本拠地としていた、
湯築城(ゆづきじょう)跡でもあります。
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朝が早かったのでひっそりとしていますが、
この後、たくさんの花見客で賑わったことと思います。
どこの名所でも見られる地面に敷き詰められたゴザとブルーシート。
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この街は、
バイクのナンバーも桜っぽくないですか?
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by dora3000 | 2012-04-20 06:54
2012年 04月 18日

木蝋と白壁の町 内子

松山市から高速に乗って南へ約1時間、
何とものどかな風景の中に内子の集落があります。
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約600mの通りに約120棟の家々が連続して建ち並び、この内約90棟が伝統的な民家。
浅黄色と白漆喰で塗り込められた重厚な大壁や袖壁、うだつ、なまこ壁、鏝絵など建物の造形が美しい通りです。
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昔ながら民家を見物しながらののんびり散策は、
現在とかけ離れた時代への旅へと変わって行きます。
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こんな散髪屋さんで髪型を任せたら、ちょんまげ?
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こんな美容室で髪型を任せたら、日本髪?
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でっかいなぁ~(@_@;)
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時間が無くて30分ほどしか居られなかったのです(^^ゞ
残念。。。
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しかしいいですよね~ 昔ながらって。
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by dora3000 | 2012-04-18 21:26
2012年 04月 16日

千と千尋の神隠し

ジブリ作品の『千と千尋の神隠し』はご覧になりましたか?
あの大きなお風呂「油屋」のモデルになった道後温泉本館。
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今回、一番行きたかった場所なのです。
総会が終わって、6時までの約2時間。
ホテルのフロントに行き道を聞いて、早速、道後温泉本館に向いました。
坂道を下ること10分、商店街を抜けたところに、その温泉はありました。
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まだ日が明るいというのに、その建物からは異様な空気が漂っていました。
中に、湯婆婆や釜爺がいるのかと思うと堪りません。
すでにどっぷりと映画の世界の空想に入ってしまっている自分にびっくりしてしまいます。
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道後温泉本館は、明治27年に建築された三層楼のどっしりした建物です。
誰でも利用することができますが、大変込み合っています。
道後温泉本館 には入浴パターンが4つ、あるようです。

パターン1 「 神の湯 階下 」
神の湯階下、というのが、一番リーズナブルなプラン。
一般的な銭湯と同じ感覚で、入浴する料金のみ。
タオルとか何もついてない。400円。

パターン2 「 神の湯 2階 」
2階にある 神の湯 というお風呂に入浴して、
2階の大広間で休憩できるプラン。
貸し浴衣、茶菓子が付いてくる。 800円 で、持ち時間 は1時間。

パターン3 「 霊の湯 2階 」
2階にある 霊の湯 というお風呂に入浴して、
2階の広間(パターン2の広間とは別)のところで休憩できるプラン。
貸し浴衣、貸しタオル1枚、茶菓子が付いてくる。
1200円 で、持ち時間 は1時間。

パターン4 「 霊の湯 3階個室 」
お風呂は、霊の湯 か 神の湯 で入浴、3階にある
個室で休憩できるプラン。貸し浴衣、貸しタオル1枚、茶菓子、
坊ちゃん団子 が付いてくる。1500円 で、持ち時間 は1時間20分。

そう、道後温泉本館 って
それぞれのプランによって、入れるお風呂や
休憩場所などが別々なんです。
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入浴したかったのですが、待ち時間が40~50分。
夜の宴会に間に合いそうにありませんので、今回は諦める事にしました。
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ハクはどこに?顔なしは入浴中かな?
ぼうは上の部屋にいるのかな?
千尋は釜爺の手伝い中?
物語の世界が目の前にあって、とても不思議な感覚でした。
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by dora3000 | 2012-04-16 23:56
2012年 04月 15日

坊ちゃん列車

松山市内は路面電車が走りまわっている。
ゴォ~~ッ!!
かなり大きな音だが、懐かしさもあり耳障りではない。
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どうして京都は路面電車を無くしてしまったのだろう?
1895年に京都電気鉄道によって日本最初の電気鉄道として開業され、1912年の市営路線開設、1918年の全面市営化を経た後、1978年9月30日限りで全廃された。
これほど、古都京都の街に似合う乗り物は無いと思うのだけれど。
まして、CO2を出さない環境汚染に優しい乗り物なのに。
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さて、松山市内を路面電車に混じって機関車が往来する。
明治時代は、黒い煙をモクモクと吐く蒸気機関車だったが今はディーゼル車。
煙に見たてて出しているのはのは蒸気だそうだ。
夏目漱石が、小説『坊ちゃん』で紹介して以来、『坊ちゃん列車』と呼ばれている。
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昔は坂道になると、1等の客はそのまま、2等と3等は下車して歩く。
3等の客はさらに列車を押さなければならなかったようだ。
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大人300円、まるで遊園地を走るミニSLと同じですね(^o^)
レトロな気分でのんびり松山観光って最高だと思いますよ。
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by dora3000 | 2012-04-15 21:22
2012年 04月 12日

松山城

昼食地からバスで10分、松山城に到着です。
歩いても登れますが、ロープウェーとリフトが動いています。
所要時間はロープウェーで2分 リフトで6分です。
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上にあがると、桜が満開でどんぴしゃの花見日和でした。
桜祭りの最中で、野球拳を初め催しが色々。
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ロープウェーを降りると、厚い雲に覆われた空から雨がこぼれ落ちてきました。
しかも寒くて震えるほどの気温。
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休憩所の軒先で雨宿り。
今日はあかんかな・・・
そう諦めかけていたら
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突然の青空!
気温もどんどん上がって、ほんの少し前が別の日のように思えるほどでした。
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松山城の創設者は加藤嘉明です。嘉明は羽柴秀吉に見出されてその家臣となり、
20才の時に賤ヶ岳の合戦において七本槍の一人としても有名です。
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慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いにおいて徳川家康側に従軍し、その戦功を認められて20万石となります。そこで嘉明は同7年に道後平野の中枢部にある勝山に城郭を築くため、普請奉行に足立重信を命じて地割を行い工事に着手し、翌8年(1603)10月に嘉明は居を新城下に移し、初めて松山という名称が公にされました。その後も工事は継続され、寛永4年(1627)になってようやく完成します。当時の天守は五重で偉観を誇ります。しかし嘉明は松山にあること25年、寛永4年(1627)に会津へ転封されることになりました。
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現在の天守へ
そのあとへ蒲生氏郷の孫忠知が出羽国(山形県)上の山城から入国し、二之丸の築造を完成しましたが寛永11年8月参勤交代の途中、在城7年目に京都で病没し、嗣子がいないので断絶します。その後寛永12年(1635)7月伊勢国(三重県)桑名城主松平定行が松山藩主15万石に封じられて以来、14代世襲して明治維新に至りました。
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なお天守は寛永19年(1642)に三重に改築されましたが、天明4年(1784)元旦に落雷で焼失したので、文政3年(1820)から再建工事に着手し、35年の歳月を経て安政元年(1854)に復興しました。これが現在の天守です。その後、昭和に入り小天守やその他の櫓が放火や戦災などのため焼失しましたが、昭和41年から全国にも例を見ない総木造による復元が進められました。
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山の上なので松山市内が一望できて、瀬戸内海を望む事もできます。
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綺麗な桜に出会えて幸せです。
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by dora3000 | 2012-04-12 21:44